GHQ焚書図書開封

巨大な現代史の空白がなぜうまれたのか。GHQは日本の歴史と精神を抹殺するために多くの古典的良書に焚書を命じた。

西尾幹二氏が歳月をかけて取り組んだ本書は、占領中の焚書を一覧し、その経緯を克明に追い、さらには焚書となった書物の代表例を取り上げ、いったい何を基準にこれらの重要書物が焚書の対象になったのか、そのGHQの占領政策の背後にあった米国の意図と、その走狗となって対米協力したブンカジンや行政組織を、戦後63年目に満天下に明らかにした。 これは一つの文化事業でもあり、また独立主権国家であるとすれば、当然、これまでに国家事業として完了しておくべき作業だ。

どういう書籍が焚書になったのか?もっとも焚書された冊数が多いのは野依秀一である。

野依さんは知る人ぞ知る、その昔「帝都日々新聞」(日刊)の社主にして毎日、自分の新聞に健筆を振るった。大分県出身で、林房雄とも懇意だった。その関係で林房雄も週に一本ほど同紙にコラムを書いていた。 小柄な体格から迸るエネルギーを感じさせる人だった。

帝都日々新聞は、野依の死去にともない、その後、児玉誉士夫系列の人材が送り込まれ、「やまと新聞」と名前が変わった。若手ジャーナリスト志望者が、このメディアを舞台に異色なルポなどを掲載した。戦前の著作が二十三冊もGHQから焚書処分とされていたのだ。

武藤貞一という人がいた。いまから40年前、氏はもちろん存命していて、『動向』という月刊誌を出されていた。まったく戦前の歴史に無知な私を掴まえて怒りもせず、淡々と現下日本の劣情を憂う表情だけが険しかった。武藤貞一は昭和十二年に『英国を撃て』(新潮社)を書いて、当時の大ベストセラーとなった。廬講橋事件直後には『廬講橋のあとに来るもの』をあらわし、初版五万部、人気絶頂の評論家でもあった。氏は、この本に着目し、あの時代は「イギリスが日本の主要敵だった」と時代のパラダイムを想起させてくれる。この本への論評も熱気が込められている。


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徳富猪一郎、山中峰太郎、林房雄尾崎士郎、長野朗、火野葦平中野正剛石原莞爾、保田輿重郎、安岡正篤山岡荘八頭山満大佛次郎。意外に武者小路実篤とか、坂口安吾石川達三などの名前もある。 まさしく占領軍の日本精神、日本歴史抹殺政策は、日本から歴史書を奪い、日本を壊わされる時限爆弾としてセットされた。合計7000冊以上の良書が、秦の始皇帝焚書のように闇に消された。これらが消滅すれば、日本の精神の復興はままならないだろう。

これらの良識古典が近年、つぎからつぎへと復刻されているのは、頼もしき限りである。徳富の終戦日誌は全四巻、林の大東亜戦争肯定論は数年前に再刊されたが、これらは戦後の作品。戦前の復刻が続くのは安岡、頭山、保田らである。 この空白期を巧妙にうめて日本の出版界を左翼の独占場とした。

GHQがそこまで目論んだのか、あるいはGHQ内部に巣くったソ連のスパイたちが日本の左翼を扇動し、行政やブンカジンの協力を強要した結果なのか。焚書の対象とならなかった作家を一覧してみると或る事実が了解できる。

小林多喜二林芙美子宮本百合子三木清、尾崎秀美、河上肇美濃部達吉大内兵衛らの諸作は焚書の対象から巧妙に外されていた。日本の協力者がGHQにリストでも渡さない限り、このように「正確」な書籍の選択選別は出来なかっただろう。氏は、この労作『GHQ焚書図書開封』を通じて「米占領軍に消された戦前の美しい日本」と「簒奪された私たちの歴史」をいまこそ取り返そう、現代日本史の巨大な空白を埋めようと提言されている。